石渡康嗣さんという東京のあちこちでカフェを運営している人がいます。ブルーボトルコーヒーの日本1号店のプロデュースなども手掛けられてるのですが、東京の「清澄白河」って、今お洒落なお店がたくさん出来ている街になってます。それって石渡さんが、ブルーボトルコーヒーの日本1号店を“清澄白河ではない場所”を選んでいたらそうならなかったって思うんですよね。
石渡さんは僕のバーの開店当初からの常連さんでして、会うたびに、「今度フットサルカフェを始めるんですよ」とか、「こういう蒸留酒今やってるんですよ」といった面白い話をされるんです(笑)
“食のスペシャリスト”の方たちに「美味しい」からはじまる「食」のお話をいろいろ聞いてみるこの連載、第8回は石渡さんにとって、お店を作ることや美味しいことって何なのかをいろいろ聞いてみました。
石渡康嗣(いしわたり・やすつぐ)さん
飲食店を中心に運営企画に携わりながら2013年に株式会社WATを設立。「ブルーボトルコーヒー」や「ダンデライオン・チョコレート」の日本展開に携わり、兜町の「KNAG」、蔵前の「Marked」など、カフェをその街の特徴と掛け合わせながら展開し、人が集う場を創造している。
-石渡さんが最初に僕のバーに来た頃、一橋大学出身の方たちといつも来てたと思うんですけど、大学を出た後はNECに勤められたんですよね。その時はどういう仕事をされてたんですか?
NECの一般的な印象はPCや携帯電話かと思いますが、実は半導体や通信インフラが強く、そちらに配属されました。元々バックパッカーだったという弱い根拠だけで、海外事業部門に入れてもらいましたが、海外に行くことはなく、ずっとエクセルを叩いてました。
-表計算ソフトをひたすらやっていたんですね(笑) うちのカウンターで「スターバックスに勤めてる」って、一時期おっしゃってましたよね。それはいつなんですか?
いろいろあって、2002年にNECを退職した後、「2002年にワールドカップがあるから何かしよう!」って、友人と起業したんですけど、それだけではうまくいかなくて。収入を得ながら経験を得るために、スターバックスで働きはじめました。
-スターバックスでは何をやってたんですか?
やはり数字を見る仕事をしていましたね。当時は500店舗くらいで、ちょうど六本木TSUTAYAの店舗ができる頃でした。日本全国の店舗の立地や属性、ターゲットを分析し、予算編成をするというあまり喜ばれない仕事をしていました。
-僕も含め、飲食業をやっている人たちって数字が苦手じゃないですか。でも石渡さんは数字が好きなんですか?
数字は好きですね。基本的に合理的であることを好きなんだと思います。
-スターバックスってすごく人気ですよね。あれってどうしてだと思いますか?
一言で言ってしまうとブランドじゃないでしょうか。例えば道を歩いていてカフェに入りたくなった、右側にスターバックス、左側に無名のカフェがあると、99対1くらいの確率でスターバックスを選びます。スターバックスで受けられるサービスや体験が想像できるからです。とても素晴らしいお店であっても、知らないお店のドアを開けるのは勇気が必要ですよね。
-よく言う話なんですけど、スターバックスが日本にきたとき、喫茶店業界の人たちが「煙草が吸えない喫茶店なんて流行るわけない」って言ってたんですね。でも流行ったわけで。それに関して、アメリカ在住の友人が「煙草の代わりにコーヒーというものにハマったんじゃないか」って言ってまして。確かに日本人が、アメリカのコーヒー文化に染まってしまったのかなって思うのですが。
僕は京都出身ですが、「喫茶店でコーヒーを飲む」っていう文化はありましたよ。朝昼晩、どの時間帯も喫茶されていたように思います。スターバックス以前からコーヒーを飲む習慣はあったと思いますが、タバコに置き換わるものかどうかはわかりません。
-アメリカと日本の“コーヒー文化の違い”って何だと思いますか?
日常性だけで比べると、アメリカ人は「to go(テイクアウト)」が多いですよね。欧米の人は胃が強いから一日に何回も自分のお気に入りのコーヒーショップに行ってコーヒーをガブ飲みする印象はあります。日本人はそんなにたくさん飲めないです。それ以外では日本のカフェは非日常性の中で楽しまれることも多いと思います。
-でも、その日本の方式だとカフェは単価が低いからすごく長く滞在されると儲からないですよね。そのあたり、スターバックスはどうしてたんですか?
日本のスターバックスは、サードプレイスを提供するというミッションを掲げています。それが店舗に浸透しているので店長以下全スタッフがみんな、ゆっくりこの場を楽しんでくださいって思っているはずです。
-コーヒー一杯で何時間もPC作業されたらスターバックスとしても困ってしまわないんですか?
「売上のために働いているのではない、サードプレイスという場所を提供するために働いている」って思っているはずですね。そう考えるとPC作業している人にも優しくなれる。建前論かもしれないですが、そうでないと生き残れない時代になっていると思います。
-会社が掲げるコンセプトをスタッフが体現しているんですね。店長も含め早く帰っていただいて回転させようとは誰も考えてないんですね。
でないと今どき働く人やお客様を惹きつけられないですからね(笑)
店長に「あのお客さんまだずっと長居しているから帰ってもらって」なんて言われたら、ミッションとのミスマッチがおこりますね。
-なるほど。そりゃそうですよね。そうかぁ。「そういうところで働きたい、そういう場所が好きだ」って働く側にも思わせるっていうのも重要なんですね。
-石渡さんはスターバックスの後にフットサルカフェを始めたっておっしゃっていましたが、それもすごく不思議でして。飲食店業界の法則で、ひとつの店舗の中に、ふたつ違う目的の空間があると、「お客様はどっちがメインなのかわからなくて、あまり上手くいかない」っていうのがあると思うんです。
例えばうちは最初にレコード販売スペースが3分の1くらいの広さであって、他はバースペースだったんですけど、やっぱり上手くいかなかったんです。フットサルカフェって、フットサルをやる場所も貸すし、カフェもあるって感じなんですよね。
お金の話をするとそういうこともあるかも知れないけど、僕らは「フットサルを中心としたコミュニティを作るにはどういう場が良いか」って考えてフットサルカフェを作ったんです。結果的に、儲かることはなかったですが(笑) そういう場を営んでいたということは誇らしいことでした。
-そうかぁ。石渡さんらしい話ですね。僕ももちろんバーっていうみんなが集まれる場所を作っているつもりなんですけど、バーってすごくお金を使ってくれるお客様が1人いると、それで他の人は1杯で長居しても大丈夫な仕組みになっているんです。そう考えるとカフェって儲からないんじゃないかなぁ、っていつも思ってて。
カフェは儲からないですね。さまざまなコストが上がる中、生活に密着した商いでもあるので、単価アップに結びつけづらい側面があります。
-そうですよね。他のものは全部値上りしていますしね。
石渡さんはブルーボトルコーヒーで有名ですけど、そもそもプロデュースをすることになったきっかけを教えてもらえますか?
サンフランシスコに40年間住んでいた堀淵さんからのお誘いで、「ブルーボトルを日本で展開したいっていう話があるんだけど手伝わないか?」というお誘いをいただいたんです。そこからの御縁でダンデライオン・チョコレートもご一緒させていただきました。
-それはすごく運が良かったですね。
それ以前にもいろいろな人にお声がけしていたようなので、最終的に僕のところで仕留められたということでしょうか。運がよかったのもそうですが、機が熟していたのだと思います。創業したてで、「早く物件見つけて、ハンコを押してもらわないと報酬がもらえないからなんとか決めてもらおう」って思ってましたね(笑)
-それはブルーボトルの代表と交渉したんですか?
創業者のジェームス・フリーマンと堀淵さんとで日本のあちこちに出向き、街の雰囲気を見てもらいました。その上で「まずやっぱり東京からかな」ということになり、「東京だったら清澄白河が面白いのではないか」と勧めました。
-でもアメリカの方もいきなり「清澄白河がいい!」って言われてもわからないですよね。
その通りですね。ピンポイントで街のことを言われても、東京の他の街との相対評価はできないので、ほぼ印象操作ですよね。僕も今中国の仕事をしていて、中国の街のことを言われても全然客観視できない上に、言葉がわからないので学びようもない。あのときのブルーボトルに人たちの気持ちが少しわかった気がしています。
-ずっと気になってるんですけど、なんで清澄白河だったんですか?
ブルーボトルはオークランドに大きなファクトリーがあり、当時それがカッコよかった。僕の仕事はそのオークランドのファクトリーのもつ世界観を日本に再現するということなので、その再現性を考えると東京の繁華街ではなく、隅田川の向こう側と思いました。
ジェームスに「なんで清澄白河なんだ」って聞かれたときに、「清澄白河は大きい建物がなく、オークランドの雰囲気があるでしょ」って言ったら、ジェームスが「そうだなぁ」って言って。ジェームスが何かのインタビューでも、「清澄は空が高くて良い」って答えていたので採用されましたね(笑) 逆に、理由なんてそれくらい根拠が薄いものだと思います。検索条件が完全一致する物件なんてないので、どこかで見切り発車しなければいけません。
-(大爆笑) その後、彼がハンコを押してブルーボトルが作られて、どうしてあんなに流行ったんだと思いますか? わざわざみんなが清澄白河まで行って、ブルーボトルに並びましたよね。すごく不思議じゃないですか?
だからそれは“ブルーボトルだから”ですよ。僕が何度も言うように、「ブルーボトルを東京で再現すれば」良いわけですから。
-同じものを、同じような場所で再現すれば当たるはずだってわけですね。何か仕掛けたんですか?
仕掛けてないですね。そういうの嫌いなので、、、
僕はブルーボトルを卒業することになりましたが、そしたらまた堀淵さんから「次はチョコレートだぞ。」とのお誘いを受けたので、ダンデライオン・チョコレートを日本に上陸させることになりました。ブルーボトルの熱狂を見て、彼らも日本に進出したい、となったようです。
それでサンフランシスコに再び出向いて彼らの商いを見たら、やっぱりすごくて。でももうアメリカの仕事はいいかなぁって思ってた時だったんですよね。でも帯同していた妻に「これは面白いからやりなさい」って言われて、やることになりました。
-その頃はもうビーン・トゥ・バー(カカオ豆から板チョコレートができるまでの全工程を自社で一貫管理して製造する製造スタイル)は日本では話題になってたんですか?
ちょっとは話題になっていましたが、まだまだな状況でした。
-ダンデライオンの日本1号店は蔵前ですけど、「蔵前」に出店するというのはどうやって決めたんですか?
コーヒー焙煎よりチョコレート製造の方が作業量が多いんで、“ものを作る”という覚悟は強かったです。そういう意味で清澄白河は住宅街でしたが、蔵前はものづくりの街というイメージですよね。
-蔵前で正解でしたか?
蔵前のフィット感はいまでもすごいと思いますね。おしゃれカフェを作ることが僕の直接的な仕事ではなくて、創業者の思いを日本に伝えるために何をすればよいかを考えること、可視化して、決裁させること、実現させることがブルーボトル、ダンデライオンに共通する仕事でしたので、そういう意味では双方何らかの形になって良かったと思います。
-なるほどなぁ。
そんなプロデュース業をやられている石渡さんに是非聞きたいことがあって。僕バーをやってますけどずっと気になっているのが、「これからお酒ってみんなどんどん離れていって、いずれ煙草みたいな存在になる」と思ってるんです。それってどう思いますか?
そう思いますよ。これからはお酒を飲むのと同じような気持ちになれる体験を“お酒以外”の飲み物で体験できるようにするっていうのが、これからの飲食店の課題だと思ってます。
-石渡さん、「mitosaya薬草園蒸留所」っていう蒸留所をやってるじゃないですか。それが不思議で。どうして蒸留酒をやろうと思ったんですか?
ユトレヒトをやっていた江口さんが、ドイツのモンキー47を手掛けたクリストフ・ケラーの元に修行に行ったんですね。ちょうど僕もクラフトジン的なものに興味があった時代だったので、嫉妬しながら見守っていました。それで彼が修行から帰ってきたときに改めて蒸留所を開業したいから一緒にやらない?とお誘いを受けました。
-すごいですね。今クラフトビールが流行ってますけど、ビールは度数が低いっていうのも大きいと思うんですよね。実際に僕もカウンターに立ってて、蒸留酒のような高い度数のお酒ってあまり注文されないんです。
例えば今だと日本のリンゴでシードルを作るとか、ビールやワインのような醸造酒の方がウケると思うんですけど、どうして蒸留酒を選んだんですか?
林さんの考え方って「マーケットイン」という考え方で、ここにマーケットがあって度数が低いお酒が求められているからとか、みんなクラフトジンやってるから、こういうのをやれば当たるんじゃないかって考え方なんですけど、それとは違う考え方で、「プロダクトアウト」という考え方で、自分たちはこういうものを作りたい、それがマーケットに受け入れられるかどうかはわからないけどね、っていうものです。mitosayaは基本はプロダクトアウトの発想ですが、江口さんはある意味天才なので、ちゃんとマーケットのこともハイブリッドで見ています。その姿勢は同意できますね。
-ここからは石渡さんという人を深堀りしていきたいのですが、好きな飲み物ってありますか?
何か頑張った後のビールには脳から分泌される幸せ物質を感じますし、最近は中国茶も滋味深くて美味しいと思っています。自然とその時々の自分の状態に合わせているように思います。
-食べるのも、飲むのも、その時の状況って大事ですよね。これはみなさんに聞いている質問ですが、「美味しい」って何だと思いますか?
まず生物的に美味しいという評価があると思います。それは何万年も食べてきたものや、生き残る上で必要な栄養が備わっていたりするものには相応のシグナルが発せられて、それが美味しいということにつながっているはずです。そこから先はウンチクを食べていると思います。
-ブランドとかストーリーとかですか?
そうですね。あるいは偏見もあると思います。ワインやコーヒーのようなものは特に、そのウンチクと自分とのフィット感で美味しさが測られるように思います。
-そうですよね。その情報が自分にフィットしているかって大きいですね。
あとは飲食店目線で見ると、総合芸術としてお客様に美味しいと感じていただくことが大事です。味覚情報だけではなく視覚・嗅覚情報、さらにそれらを円滑に伝えるスタッフのホスピタリティも必要です。“どんな時間が過ごせるか”がカフェの提供価値ですが、その中身はそんな要素が総合的に詰まったものだと思います。
-さすがプロデュース業をされている方のお答えですね。
-じゃあ、最後の晩餐は何を食べたいですか?
家族とか友人とかお世話になった人たちと、枝豆と豆腐とかですかね。
-枝豆と豆腐ですか?
豆腐、美味しいですよ(笑)
-豆腐、美味しいですよね。
僕も最近やっとわかってきました。石渡さん、面白いお話どうもありがとうございました。プロダクトアウト、頭に刻みました。そしてきっと石渡さんのお仕事で、街の地価が変わったと思います。お店が街を作りますね。本当にすごいお仕事です。
ーーー 取材の舞台裏 ーーー
林さん「石渡さんが次に目をキラキラさせて取り組む仕事が楽しみです!」
「清澄は空が高くて良い、って話でしたけど、渋谷の空は……こんなかんじですねぇ」と、言っている図です(by編集部)
【連載一覧】「食」のプロたちに聞く“美味しい”って何!?
vol.1:LE CAFE DU BONBON 久保田由希さん
vol.2:スープ作家 有賀薫さん
vol.3:Mountain River Brewery 山本孝さん
vol.4:café vivement dimanche 堀内隆志さん
vol.5:株式会社カゲン 代表取締役 中村悌二さん
vol.6:料理研究家 口尾麻美さん
vol.7:世界の台所探検家 岡根谷実里さん
vol.8:株式会社WAT 代表 石渡康嗣さん